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「思想地図」別巻再読ー「ゼロ年代思想」との距離感

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昔目を通していた、「現代思想×社会課題」をいくつかのトピック立てした好シリーズ「思想地図」別巻(NHKブックス)を再読することにした。

もっとも、当時は、4本(1日本、2ジェネレーション、3アーキテクチャ、4想像力)あるうち、前者2本のみを読んでいただけだが。

 

本格再読はこれからなのだが、今回は、自分が「ゼロ年代思想」に対して取っていた、極めて特殊な距離感について整理してみたい。

ゼロ年代思想」と言っても、本格的な思想家・哲学者と言えるのは、東浩紀唯一人と言って差し支えないだろう。他の論客には少々失礼かもしれないが…

無論、東周辺にいた多くの学者や論客たちの面々や、彼らの取り組んでいた課題群やその切り口などを知るきっかけになったのは間違いない。

 

ゼロ年代思想」というと、「過去の思想」のようなニュアンスとなり、今も活動を続けている彼らが「過去のもの」になっているように受け止められてしまうかもしれないが、別にそうした意図がある訳ではない。

そのような呼び方をするのは、便利かつ象徴的であるということと、実際に自分自身が彼らに対して意識すべきなのは、主に(いわば「震災前」の)「ゼロ年代」の取り組みに対してであろう、と見当を付けてのことだ。

 

ゼロ年代思想」に対する距離感やスタンスは、表現するのがとても難しい。

(そもそも向こうは誰もこちらのことや存在を知らず、こちらから一方的に知るだけに過ぎないのだが)

その頃は諸々模索段階の学生であり、なおのこと表現は不可能だったと言える。

そもそも、その頃は当然「社会課題に広く目配り」出来る余裕も持たず、自分自身の取り組みで精一杯、という状況でもあったのだが。

東浩紀のことは、当時組んでいた研究チームの学生から聞いて知った。

(それまで「同時代の思想家」の存在を意識したことがなかったのだ笑)

 

ゼロ年代思想」への距離感は、「即かず離れず、遠巻きから、時に慎重に観察していた」といった表現が当たっているのではないか。

ポストモダン思想(特に日本)全般と(切り離すことはできないのだが)、また別個に捉えようとしていた面が大きい。

「意識していた」のは間違いなく、変に吸収し過ぎて、自分の課題意識やアプローチが巻き込まれてしまっても困る、その一方で、違和感とか距離の遠さも小さくはないので「敬せず遠ざける」と言ったところだろうか。笑

 

東浩紀に関して言うなら、「フレームワークやアプローチ、扱いたい課題群が非常に近い」面もあった一方で、彼を含めた「ゼロ年代思想」とは、対象とする領域や素材、また社会課題に向き合う際の方法論が根本的に違う、という極めて複雑な構図にあった、と今ならば整理できる。

東浩紀は、言語思想・情報思想・メディア思想の「課題群」の捉え方=フレームワークに共通性がある一方で、対象課題・テーマやアプローチが異なっているのだ。

 

同時代性=共時性は、(勝手に)持ち得たものの、専門領域や取り組み方が違っている以上、直接の接点を持ち得ない、といったところか。

ただし、彼を含めた「ポモ(ポストモダン日本思想)に対する批判性・批判意識」自体が、自分自身の思想・学問世界の構築の足掛かりになった(またはそのヒントを得た)のも間違いないだろう。

(ややこしくなるので、「現代フランス思想」との絡みは今回は別建てにすることとする)

 

当時自分が取り組んでいたテーマとは、「大学改革・大学史」である。

ポモ=(1980s東大中沢人事騒動における)「駒場派」を構成すると考えるならば、自分は敢えて「本郷派」(「専門知」の立場)に立つ、と便宜的に捉えてもらってもいいだろう。

また自分は、(現代フランス思想も含めた)ポモの「文学主義」に強い反感を持っており、「反文学主義」を取ってもいた。

「そこ(=ポモの主導した人文主義)には、学問や大学の未来はない」と直感していたのである。

と、今でこそ偉そうに振りかぶっているが、当時は訳も分からずもがいていたに過ぎないのだが…

 

何が根本的に違うかと言えば、(「文学(主義)」とも結節しているが)「メディア」へのスタンスではないか、と感じている。

学生時代は、「メディア」をどう捉えるべきか、どのようなスタンスを取ればいいのかへの答えは出せなかった。

既に勢力は衰退しつつあったものの、凋落や大衆の離反は今ほど決定的にはなっていなかった(ホリエモンによる課題提起への反動が大きかった)時期と、振り返ることが出来るだろう。

まだSNSの影響力も決定的ではなかったし。

 

「大衆的メディア」の影響力を利用しようとも乗ろうとも思わない。

この特殊性こそが、自分の特殊性と言える。

(自分がGoogleのスローガンを憎んだような)「否定命題」ではないか、と思われるかもしれない。

が、実際のところはこうとしか言いようがない。

自分の「仕事」を通じてのみ、「世(世間)」と繋がろうとしている、という。

「自分というアイコン」に無興味ではないが、それを「メディア」や「ネット」と繋げるという発想がないのだ。

時代のトレンドと完全に逆行しているのだが。

 

「思想地図」別巻再読は、こうした自分の論考や戦略を、具体的なトピックを元にして、世に展開できやすいようにポジショニングする作業となると想定している。

 


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